想景の地(旧:とある日常の暴走日記)

いつのまにか自分の舞台探訪、聖地巡礼の情報発信の場となっています

映画「聲の形」を見て思ったことと聖地(モデル地)の話(後篇)

その後出てくるのはあの岐阜バストラベルのある横断歩道です。
植野が渡っていく方向は一緒でしたが、コチョコチョが無かったり、花屋にいた西宮さんがこっちに来たり描写が少し変わっていましたね。
花屋の位置も地味に変わっていました。
 
コミックスでは無かったのですが、岐阜バストラベルの反対側も描かれていました。
そこには「かわてい」という看板が描かれているのですが、実際は「やまてい」でした。
視線を上にした時の看板は、「やなぎ」「かわてい」「高砂堂」(たぶん)でしたが、実際は「柳屋」「やまてい」「正札堂」でした。
その後、中央分離帯から横断歩道全体の風景のカットが出てくるのですが、通常期は車道のため撮影できません。
が、祭りの時とかはホコ天になるときもあるので、そんな時は撮れるかもしれません。
 
原作ではこの後、泣いていた植野を偶然にも回収して植野と石田で話をしたり、植野が家に訪問したりしてぶつかり合う訳なのですが、ここも一切カット。
植野ファンにはつらいですね。
メインの石田と西宮さん以外のエピソードは一切のカットの方針なんでしょうかね。
 
この後、ポニテの西宮さんが見れるのですが、コミックスでは石田と同時にポニテの西宮さんが見られるわけなのですが、映画では西宮妹視点で石田より一足お先に見られます。
これはいい改変ですね(
少し方法は違いますが、原作も映画も、西宮妹の配慮によって新大橋で会っていますね。
 
新大橋の西側(石田と西宮が話していた場所)は道に平行に橋の欄干が無いのですが、アニメでは空間が捻じ曲げられ、平行になっていました。
結構違和感が無い風になっていたので実際に聖地巡礼に行った人は混乱して違和感を感じるかもしれません。
実際、東側と勘違いしている人もちらほらいるようです。
うきぃと言った場所も微妙に変えられています。
原作では新大橋から西の方に少し入ったところで言われるのですが、映画では新大橋の上にいるままで告白がありました。
 
次に、川井が髪型を変えてくる話があり、真柴君が友達になるのですが、ここはほぼ原作通り。
川井さんの発言によって西宮さんの気合の入ったポニテはかき消されてしまいます
 
この後あたりで水門側のS字カーブしている描写が出てくる。
場所は分かっているので別記事にて紹介する。
大垣市役所の裏の場所である。
 
この後、ナガシマスパーランドに遊びに行くことになるのだが、その前の話は無くなっていた。
橋の上でみんなでどこ行く?と悩んでいた話や、大垣駅前に集合する話、JR東海の車両に乗っていくシーンとか。
映画で、なぜ養老公園養老鉄道で行ったのに、長島はJRで行ったのかという謎が少しわかるかな?と期待していたのですが、謎のままです。
ちなみに原作で描かれていた大垣駅南口の階段ですが、エスカレーター新設工事に入っており、一部が失われています。
 
みんなでどこに遊びに行くか?という話はカットされましたが、将也が「とても簡単な言葉なのに、理解してあげられなかった」というところはきちんと橋の上で使われましたね。
原作では「そんな簡単な言葉も理解してあげられなかった」という書き方だったので、重要な言葉として、単独で使える言葉として改変したのでしょう。
実際、この言葉は単独で本予告でも使われています。
 
ナガシマでは、原作通りホワイトサイクロンに乗り、スターフライヤーに乗り、足漕ぎボートに乗っています。

他にもスペースショットも追加されていましたね。
ホワイトサイクロンのアトラクション出口ですが、原作では入口の階段を出口として使用していたのですが、映画では実際と同じ入口階段と出口になっていました。
西宮さんの足がくがくの部分が消えて、みんなで会話してましたね。

その後島田との再会、将也と植野とのベンチでの話が始まるのですが、佐原と植野が仲良くなった部分はカット。
うーん、方針なんでしょうが寂しいですね。
売店も原作と同じ位置の売店がモデルとなっていました。

で、原作と同じように西宮さんと植野が一緒に観覧車に乗るわけですが、なんと乗り終わった後のくだりはカット。
植野がソフトクリーム投げつけて最悪な雰囲気に終わるということはあまり描かれませんでした。
観覧車内の極秘映像は原作と同じく、西宮妹が仕込んでおいたカメラから。
石田視点の作品ですので、どうしても描けないところは西宮妹にカバーしてもらうという形ですね。
本当に西宮妹はいい仕事してます。
極秘映像で一番気になったのは、植野の太もm(げふんげふん、じゃなくて植野の怒って話している時の太もm(げふんげふん、じゃなくて植野が怒って話している時の内容が少しソフトになっている感じがしたことです。
今回の映画は、全体的にソフトめに作ってありますよね、たぶん。
絵だけではなく、動き、そして音声が加わると、自分に向けられていないとはいえ人一人分の想いがぶつかっていくのを見るのは確かにつらいかもしれません。
特に、音声が一番つらいだろうなぁ・・・
極秘映像で2番目に気になったのは植野の太ももですね。
原作では植野の顔まで描かれていましたが、映画ではリアリティのためか低い視点の足元ばかりでした。
原作では顔に×がついているとはいえ、植野の表情が分かりやすく描かれています。
リアリティを出してきたのかフェティシズムを出してきたのか僕には判断付きかねます

原作だとこの後くらいに石田が西宮さんをべた褒めするのだけれども、なんだかカットされていたような気がする。西宮さんが照れるところが見たかったような。

このあたりで自分の席の左の方の中年の方がいびきをかきました。
きっと、その人にとってこの作品はつまらなかったのでしょう。
その後他にも寝ている人を見かけたので、万人ウケはしないのだろうな。と思いました。

で、ここから一気に話の前後とカットが進みます。
4
巻中盤から5巻中盤まで一気です。
真柴君が、遊園地に一緒に西宮さんと行ったことで、興味を持ち昔のいじめについて触れられます。
話はだいぶショートになっていましたが。
耳無しホーイチの話は小学生回でもカットされているのでカット。
主犯のやつをぶっ飛ばしたいという話も無しでした。
まぁ、前後しているので後で回収するのだろう。そう思っていました。

原作通りの流れで、真柴君に何も話してないか石田が川井さんに確認。
クラス全員の前で暴露されるのでした。
川井さんの演技?が生ぬるくなっていた気もしますが、まぁあれもそのまま描かれるとえぐいですからね。
石田と同じく何とも言えないものが込み上げてきます。
コミックスであればここで一呼吸置くのですが、映画なのでそれはできません。
物語は進んでいきます。

記憶が薄れているのですが、植野はこの時学校の前で待ち伏せではなく、先にいつもの橋にいたような気がします。
植野の「インガオーホーなんてクソくらえ!」や「乗れ!」が聞けませんでしたね。
で、橋の上で喧嘩するわけです。
ここもだいぶマイルドになっていましたね。
概ね原作通りでしたが。
植野の報われ無さぶりも、原作よりマイルドに感じました。
で、期待していた真柴君の他人様パンチですが、まさかのカット。
なるべく暴力的シーンは排除したのかもですね・・・。
原作では、あの演出によって、その後の西宮さんが自殺まで覚悟してしまう程の自己否定が強くなったと思っていたのですが。
映画を見ている人はわりと突然で不自然に感じなかったのかなぁと思います。

ここで西宮のばあちゃんが登場し、4巻の中盤へと戻ります。
だいぶカットされていたものの、存在感は出していたという印象です。
原作と同じくしそジュースを飲んでいました。
で、ばあちゃんが飲んでいる際に使っているのは、大垣市の特産品である桝です。
まんじゅうはこちらも大垣で有名な「金蝶園饅頭」かと。
ここでさりげなく原作・映画ともに大垣感を出しています。
また火曜日になり、石田があの橋に行くわけなのですがそこで西宮妹が泣いています。
この流れは原作通りです。
制服姿でどうでいどうでい!ってやってる結絃は可愛かったですね。
気になったのは、石田の「夏休みなのに制服なんて着て」(記憶あいまいですが)というセリフですね。
原作では、「ははっ!なんかあったのか?お前ッ 学校行き始めるなんてさぁ」です。
これは、原作とは違い、結絃が学校へ行っていないという描写を一切していないからですね。
自分の中では結絃が不登校気味というのはイメージとしてあるのでここまでのストーリーで特に気にしていなかったのですが、その結絃の話もバッサリカットされていたんですね。
原作の時期だと、西宮妹が泣いていたのは夏休み前になるので、制服を着ていても全く違和感はありません。
ただ、ストーリーを前後させて後ろに持って行き、夏休みとしたことで制服を着ていることに違和感を持たせています。
結弦と石田がメシにを食いに行くのもカットでした。
原作では、アクアウォークのフードコートがでてきています。
その後通夜会場に行くのですが、原作の場所のモデルは分かりません。
描写がしっかりしているので、モデルはあるんだろうなとは思っています。
映画のモデル地はすぐに分かりました。大垣市鶴見斎場です。
斎場前の石垣が印象的ですね。
中の情報はほとんどなく、似ているかどうかは不明ですが、航空写真を見ると、映画にも描かれていたような長方形の池(硝子と一緒に描かれていた)があるので、京都アニメーションがロケハンに来ていて、内部もそっくりなことは間違いないと思います。
斎場という特殊な場所ですので、訪れるとしても、石垣のある門の前までとし、写真を撮る場合は、式等何も行われていないことを目視で確認した上で手短に撮り、立ち去るのが良いのではないか。とは思います。
葬儀等していない上で敷地外の一般道からであれば、ズーム・長居さえしなければ良いようには思うのですが、「常識」であったり、「倫理感」という点においては僕個人では諮りかねますので各個人にお任せいたします。先ほど書いたのは僕個人が考えた最低限のマナーですのであしからず。
葬儀の時に、西宮母が結絃たちにも泣いているところを見せてしまっている演出には驚きました。
見せちゃっていいの・・・?と。
案の定、おばあちゃんから結絃への手紙は丸っとカットされました。
喜多先生との再会もカットだったと思うのですが、どこかに描かれていたかもしれませんので断定はやめておきますね。
硝子と長方形を描くにあたって、モンシロチョウも描かれていたのですが、僕にはあの演出の意図が良く分かりませんでした。
蝶を霊魂の象徴として描くことは多々あるので、もしかしたらあれが西宮祖母との別れを描いていたのかもしれません。

残りの4巻部分はすべてカットされました。
西宮家の過去(これもまた相当えぐい)、結絃の元気づけのくだり、そして番外編です。

そして次に飛ぶのは5巻中盤のデートごっこのところです。
5
巻序盤の映画のくだりは丸っとカット。真柴君の公園でのくだりもカット。
結構楽しみにしていた竹内先生との撮影許可での再会もカットです。
まぁ、映画製作しないから来ないですよね
先生が手話を読めたところに割と驚きを覚えたのですが。

そう言えば、超重要な佐原と西宮の水着ツーショット写真が無かったですね

デートごっこでは、大垣駅前のシーンはカットで、養老鉄道のシーンから始まりました。
養老の滝は見落としましたが、映画に出ていたようです。
ほとんどが養老反転地だった気がします。
カレーのシーンはカットされていました。
そして、養老反転地で滑り落ちるシーン。
映画では、ただ単に石田が落ちるだけのシーンになってませんでしたか?
原作では硝子が最初に少し滑り、それを支え(助け)ようとした石田が落ちるという演出でした。
これはその後花火大会のマンションで起きることへの伏線だと思っていたのですが、違ったんですかね・・・。
この時は石田と硝子の手を握ることはありませんでしたが、マンションでは石田がしっかりと西宮の手を握ります。

このあたりで大垣駅前のパン屋とタクシー乗り場(おそらく)がでてきています。
何のシーンだったか一晩寝てしまったら忘れてしまいました。
花火の待ち合わせ・・・?
青いベンチも出てきてた気がするのですが、何だったっけか

石田を西宮家に招待してケーキを一緒に作り、西宮母を祝うところはほぼ原作通りだった気がします。
写真応募のくだりも一応ありましたね。
で、花火大会の話が出るわけです。
聞き間違いでなければ、映画中の花火大会は火曜日だと明言されていました。
原作ではそのようなことは一切書いてないので、映画の中にて火曜日はより拘束力のある曜日となっているようです。
花火大会のくだりはほぼ原作通りでしたね。
西宮が部屋に戻る際の言い訳が少し違ったような気もしますが。
で、マンションのくだりです。
注目は、矛盾しているのでは?と思っていたマンションの玄関から居間の間にあったドアの存在です。
原作では、玄関に入った暗闇の中でも、ドアが閉まっているのが確認できます。
しかし、カメラをいじっただけなのに硝子がいたベランダ(居間)方向のドアが全開になるのです。
映画では、ドアが閉まっていて、ガラスの枠窓が入っているものとなっていました。
それなら矛盾はありません。
閉まっていても一部がガラスなので向こう側が見えます。
西宮を助けている際のことですが、石田自身の中でのセリフは大幅に減っていましたね。
この時思い出したのですが、広瀬が水への飛び込みの高さは〇mを超えるとコンクリートの固さになるという話を小学校の時にされていませんでした。

そして病院に移ります。
映画では、大垣市民病院がモデルとなっています。
原作の病院は別の病院がモデルなのですが、まだ他の方によって特定されていないみたいなので、熱が冷めるまでは公開を見送るつもりです。
病院裏もモデルになっています。
西宮母と妹の謝罪なのですが、原作と違い、妹のカントクフユキトドキでしたのセリフに対しての母親の反応が無かったように思います。
結構重要なシーンな気がするのですが。
そして植野が大暴れするシーンですが(マイルドに書いてみました)、映画ではここのシーンもだいぶ控えめに書かれていました。
もっとすざまじかったのですが。
原作には佐原がいるのですが、映画ではこの場にいなかったです。
また、映画では、植野と西宮母を止める際には石田母が出てきました。
原作では、人ひとりの力で止められるような感じではなかったのですが、石田母なら止められるだろうということでの起用でしょうか。

この後、西宮妹は原作の流れ通り写真を剥がします。
なんとも悲しいところですね。

西宮はこの後自分の壊してしまったものを取り戻すために動き始めます。
これは原作通りなのですが、原作と違って映画作りは全くしていません。
これは見どころでしたね。
ちなみに永束君は原作どおりにHOLLYWOODTシャツを着ています。
原作では出てきていない佐原の家が出てきましたが、モデルは不明です。
ここで各個人の回想とかが始まっていくのですが、ここもほとんどがカットでしたね。
回収されたのは、川井が西宮さんを抱きしめるシーンくらいでしょうか。
しかも映画では場所が、大垣城公園になっていました。
回収されていない個々のキャラのストーリーはどれも映像と音を合わせて見たかったですけれども、特に切っちゃったかーと思ったのは植野の籠城していた病室でのくだりです。
これまでの中で植野が石田に対して好意を抱いているという描写は原作に比べて圧倒的に少なかったですので、病室で二人きりの時の描写は逆に不自然となってしまう気もするのでカットは正解だったかも知れません。
アニメでの植野の表情が見たかったなぁ・・・。

二人が必死に美登鯉橋に向かうところは、原作とあまり違いはありませんでした。
硝子の走った距離がだいぶ短くなっていたことは気になりましたが。
原作では八幡神社付近を走ってそのままずっと南下していって、美織橋まで行きましたが、なんだか市役所くらいからしか走ってなさそうでしたね。
おそらくですが、原作聲の形の西宮家のマンションのモデルは大垣駅近くだったものを、市役所()の場所を西宮家のマンションとして設定したことによる影響だと思います。
美登鯉橋での「生きるのを手伝ってほしい」の後、原作では捜索されて見つかっていた感じだったのですが、映画ではそんな描写はカットされていました。

石田が退院して、マリアが号泣するシーンは残っていましたw
確かに大切なシーンですが、まさか残しているとは思いませんでしたw

その後、原作では寿司のくだりがあるのですが、あれもカットは本当にバッサリだなーという感じでしたね。
この時に、西宮が過去に石田の理容院に来ていたことを思い出すのですが、過去に来ていたという描写もしていないですし、寿司のくだりもないのでカットでした。

ここで原作としては少し飛んで、結絃の写真の受賞と点数がやばい報告があります。
原作では、西宮の東京行と絡めてあったのですが、映画ではそんな話はカケラも見えなかったので受け取り方がだいぶ違ったように感じます。

そして文化祭当日を迎えます。
朝出ていくところで、まさかの西宮からもらったプレゼントの正体が分かるという回収でした。
東京行の話は無いとほぼ思っていたので、原作とは違う西宮さんと石田との掛け合いの中でその正体を突き止めてほしいなぁと思っていたのですが、あっさり、しかも西宮さん関係なく判明してしまいました。

で、学祭に向かうのですが石田はトイレに逃げ込んでしまいます。
原作では映画鑑賞後に大きな声で作品を称賛したのが恥ずかしくて(他にもいろいろな思いがあるのでしょうが)逃げ出したのですが、映画ではクラスの出し物の教室に入るところで逃げ出してしまっていました。
なんだか印象が違いますよね。
で、トイレに永束君が来てくれるのですが、映画ではまさかの真柴君が非登場です。
てっきり真柴君の「僕には暴言言ってない」があるものと思っていたので肩透かしでした。
殴るシーンを消したがためにここも消したのでしょうかね。
で、ちょび髭は原作通りで、千羽鶴もほぼ原作通りでしたね。
この時の後ろにあった軽音部のスーパーライブのポスターのギターがあずにゃんのギターと同じな気がしました。

そしてここでみんなで文化祭を回ることで映画「聲の形」は終了です。
残りの7巻の後半半分は先ほどの結絃の受賞とテストの点の下り以外まるっとカットです。
原作ファンからすると、振り袖姿の西宮さんが見られなかったのも悲しいかもですね。

本当に駆け足で全7巻を描いた作品となりました。
限られた尺の中でうまくストーリーを拾い上げながら作られていたと思いました。

今回の記事はこれにて以上です。
長文となりましたが、最後まで読んでいただいてる人がいれば感謝申し上げます。